高校のレベル
大吉が通っていた高校は、偏差値58くらいの中堅私立高校。高校から入る人がほとんどですが、基本全員、第一志望に落ちた人だ。レベル的には、上位1割がMARCHレベルの大学に進学する高校だ。慶應大学に合格する人は、毎年一人いるかいないかというレベルだ。
自称進学校と言ったらわかりやすいかもしれない。ただ、学校もそれほど進路指導に力を入れていたわけではない。
かといって、部活が強いわけでもなく、学校の施設も不十分で、「よくこんな学校が、学校法人として認められたなぁ」と思っている。
まさに、 THE 中途半端高校 って感じだった。
そんな高校に通っていた大吉ですが、「東大に行ける気しかしない、慶應なんて余裕すぎる」と思っていた。根拠は特にない。ただ、自分のことを頭がいいと過信していた。
頭がいいと言われたことすらないし、受験で合格したこともないのに、「自分はやれば絶対に勉強ができるんだ」と自信を持っていた。
・高校受験に失敗した大吉は、偏差値58の中堅私立高校に通っていたのに、「東大か慶應に絶対行ける」と過信していた。
東大を目指す
大吉が東大を目指した1番の理由は「学歴コンプレックス」を払拭したかったから。
先ほど書いた通り、大吉は高校受験に失敗して、行きたくない中途半端な中堅私立高校に進学した。その失敗体験によって、学歴コンプレックスになってしまったのだ。
中学校の周りの友達が受験に成功したこともあって、高校受験の失敗で過剰に自己否定を指定しまったのだ。
大吉は、公立小・公立中と進んできて受験を経験していなかった。勉強ができなかったという理由で、行きたくもない学校に進学しなければならないという挫折を経験した。
当時の大吉は、「俺が劣等感を感じるのは当たり前だ。だって、受験というゲームに負けたのだから」と思っていた。
思春期真っ只中の、中学3年生の男子が、偏差値という尺度で価値判断されるというのは、失敗すれば大きなダメージになりうると思う。
こうした学歴コンプレックスを払拭するために、「日本一の東京大学に合格してやる」と高校入学前に決心した。「日本一の東大に合格すれば、絶対に報われるだろう」そう思ったのだ。
高校受験に大失敗した大吉は学歴コンプレックスを抱えた。そして、それを払拭するために東大合格を目指して勉強することを決心した。
結局、高校入学後だらける
高校入学前は、意識が高かったものの、結局周りに流されて勉強をしなくなる。
部活:帰宅部
成績:上の下
当時の大吉「やっぱり周りの人間は大事。周りの意識が高ければ、それに引っ張られる。逆も然り」え
やはり、環境というものは大事だ。
部活にも入らずに、家でダラダラとしている日々。勉強もろくにせずに、高校3年生になる。
人間は周りの環境から、日々の選択・行動のほとんどを支配されている 当然だ。だから、「環境がイマイチだからイマイチな結果になる」というはわかる。ただ、どこで抜け出すんだ? 環境選べるように努力して、より良い環境に身を置くことは自分の努力にある程度かかってる。一概には言えないが。
恵まれた環境にいる人間が、いい結果に結びつきやすいのは当然だ。ただ、結果を全て周りの環境のせいにしていても、何も変わらない。何も変わらなくていいならそのままにしてればいい。
きっと楽だ。
何かを変えたいのなら、自分から行動しなければいけない。それが、この世の中の法則だ。
大吉は高校入学後、勉強もしない帰宅部に。
自分を変えたいなら環境を変えろ。環境を変えたいなら自分が動け ー 大吉
高3の夏休みが終わり焦りだす。
高校3年の秋。夏から秋に季節が変わっていく。なんか寒くなり出してきて、そろそろ受験ムードに周りの友達もなり始める。流石に、大吉も焦り始める。
東大に行きたいと思っていたが、明らかに東大なんかに行ける成績ではなかった。学校で受けた進研模試では、’’東京大学 文科一類 E’’という厳しい判定。正直、「あ、東大は無理かも」って思い始めたこの時期。ただ、現役だし諦めきれなかった。
秋の東大オープンを受けて絶望
流石に進研模試では実力をしっかり測れないと思い、「東大模試なら良い判定が出るだろう」と思った。そして、11月の東大オープン(河合塾)を受けた。解いている時に、「あーー、なんかむずかしいなあ」と思いつつ、なんとなくで回答を続けた。
東大の入試問題は、「〜とはどういうことか?」のような説明問題がほとんどで、私立大学のような記号問題はほとんどない。つまり、ほとんどの問題が記述、論述形式なのだ。だから、抜け目ないロジカルで正しい解答が求められる。 それが東大だ。 だから、大吉のような馬鹿者は、あまりできてなくても、「あれ? 意外とできたんじゃね?」とか思っちゃうんだ。
1ヶ月ちょっとしてから、、、 東大模試の結果が返ってきた!
(結果を見ながら) 「?…. ….. ん?…..」
「東京大学 文科一類 D」 判定欄にはこうかいてあった。
それを見た瞬間、心拍数が上がっていった。
「あ、もう東大絶対無理だ」って思った。その瞬間、「絶対東大合格」という夢が消滅した。
こうして、大吉は東大受験を諦めた(12月中頃)。
大吉は、秋の東大オープンの結果で東大受験を諦めた。
年が明けて、慶應商学部を第一志望に
東大の勉強で少し数学をかじっていた大吉。
慶應商学部A方式なら受かると思い、第一志望に変更する。
慶應義塾大学 商学部A方式 入試科目
- 英語 200点
- 数学(1A2B)100点
- 社会(世界史選択)100点
毎年、260点 / 400点 くらいとれば合格できる。
目標点数
英語 140/200 世界史 80/100 数学 40/100 合計 260/400
過去問を解いた感じいけそうだった。これなら受かるだろうと思っていた。
1月に入り、過去問を解いていく中で、数学力が低いことに気づいた。しかし、あまり気にせずに、英語と世界史の勉強を中心に続けた。数学がそんなに得意でもないのに、小論文ではなく数学を受験に使うA方式で受験したのはいまだに謎だ。
確か、どっかの受験チャンネルで「慶應商学部はA方式が受かりやすい」みたいなことを聞いて、鵜呑みにしてしまった気がする。
大吉は、英語、数学、世界史の3科目で受験できる、慶應商学部A方式を第一志望に変更した。
慶應商学部 受験当日
2/14 待ちに待った 慶應義塾大学商学部の受験当日。
受験会場は三田キャンパス。高一のオープンキャンパス以来だ。2年ぶりである。
JR田町駅から、ゾロゾロと真面目そうな受験生が、三田キャンパスに向かっていく。A方式は国立の滑り止め勢が多いので、慶應の受験生とはいえ、国立寄りの雰囲気なのだ。
カロリーメイトと綾鷹をファミリーマートで買って、キャンパスに向かって歩いて行った。
自分の受験番号が書かれた席に座る。
英語、世界史、数学の順番で試験が行われていく
人生を賭けた戦いは、あっという間に終わった。終わってみると呆気ないものだ。
試験の手応え
英語:過去問よりは出来が悪い。長文があまり読めなかった。難化した?
世界史:過去問と同じくらい。論述でどれくらい取れているか怖いな
数学:解ける問題は解けた、半分くらいかな。やっぱりベクトルしっかりやっとけば後15点くらい取れたのになー
合格発表待ち
自己採点
自己採点 英語 130/200 世界史 75 /100 数学 50/100 合計 255/260 もしかして受かったかも!
「いやー、まじで五分五分だなあ」と思っていた。逆に、慶應の入試で五分五分の点数を叩き出してること自体結構すごいなあ、って思ってた。
掲示板で自分が受験生の中でどれぐらいの位置にいて、今年の最低点を予想するスレに参加しまくった。受験日から合格発表日まで1週間ほどあった。
気分転換に、皇居の周りをサイクリングしに行くも、結局、「俺は、慶應に受かったのかな?」とひたすら気になってしまう。
考えてもしょうがないが、考えてしまう。
合格発表前日 引越しバイトを始める
相当暇だったのか、ついに、人生初めてのバイトに申し込んで初出勤をする。
バイト先は、肉体労働の代表格、引越しバイト!
不合格体験記に引越しバイトのことを書くのは、意味がわからないと、読者の皆様は思うでしょう。ただ、僕の人生の中で大きな体験だったので書こうと思う。
朝8時集合→赤羽→浦和→品川→大井町→18時解散
2つの引越しの仕事をした。一つ目の現場は、ちょろかった。荷物も少なく移動も楽だった。
ただ、2つ目の現場がきつかった。タワーマンションへの引っ越しだったから、エレベーターをめちゃくちゃ往復したのだ。くっそ重い荷物を持って、ひたすら運ぶ。
周りで働いている兄さんたちは、みんなタバコを吸っていた柄があまり良くなかった。ある程度恵まれている地域で育った大吉には、かなり衝撃的だった。車に一緒に乗っていても、タバコの煙を車内に充満させるし、運転も荒くて、口が悪い。
重い荷物を運ぶ以上に、精神的にストレスが多かった。
2現場目の仕事はきつくてきつくて、「早く終わってくれ、早く家に帰りたい」と思いながら働いていた。最後の方は、正直、泣きそうなくらい辛かった。
全ての作業が完了し、引越しセンターに戻る道中の気持ちは、なんとも言い表せない。
引越しバイトで、働くことの厳しさを学んだ。
引越しセンターに戻ると、事務所の人から給料が渡された。
事務員「お疲れ様。今日の分の給料ね」
大吉「ありがとうございます。ふぅ、、」
封筒を開けると、13,000円の給料が入っていた。
それを持って、自転車で家に向かう途中、最高の気分だった。
地獄の引越しバイトが終わり、解放感を感じながら自転車で風を切って家に帰る。カバンには、初めて稼いだ13,000円。
正直、嬉しかったし気持ちよかった。
まあそんな思い出話はさておき、明日は合格発表!
合格発表当日
合格発表の時間になると、家のパソコンでアクセスした。心臓バクバクだった。
「不合格」
「やっぱりダメだったか」そう思った。
慶應商学部しか受験していなかったので、この時点で浪人が確定した。
得点開示
得点開示の結果
英語 114/200 世界史 73/100 数学 48/100
大吉の点数 235/400
最低点 252/400
17点足りなかった。
自己採点と比較すると、英語の自己採点以外はうまく行っていた。英語はいろいろな問題があって、配点にも諸説あるため、自己採点しづらいのだ。
言い忘れていたが、高校時代は塾には一切通わずに参考書で勉強をしていた。独学ってやつだ。
大吉は最低点に17点足りずに落ちた。あと3,4問解けてれば…
あと17点かぁ 来年は余裕だな!
17点差で不合格となった大吉は、自信に満ち溢れていた。一年間あれば絶対に慶應には合格できるだろうと確信した。父親とかは、「17点差は結構でかいぞ」とか言ってきた。
いやいや、普通に考えて、「17点差は小さい」と大吉は当時思っていた。
「独学で慶應まであと一歩なら、予備校に入れば絶対に合格するはず!」
「よっしゃー、学校も行かずに、一年間のんびりできるぞ!」そう思って、前向きな気持ちで浪人生活をスタートすることになった。
慶應まであと一歩。前向きな姿勢で浪人生になる。
読んでくれてありがとう!これで、慶應不合格体験談(現役)は終わり! 次は、慶應合格体験談(浪人)を書くよ!
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