今回は、浪人して慶應法学部に受かった話をしたいと思う。現役の時に、17点差で落ちた慶應大学にリベンジすべく、浪人を決意した大吉の運命は如何に?!
成功体験は、成功するために読むという人がいるかもしれない。しかし、大吉は、成功より失敗の方が法則性があり学ぶ価値があると考える。だから、この合格体験記は、「こういう人もいるんだな」程度に思って楽しく読んでもらいたい。
予備校は?
大吉は、予備校に行くことを決意した。本当は、英語専門の塾に行きたかったのだが、親に反対されたため予備校に行くことになった。
大吉が選んだ予備校は、駿台予備学校 御茶ノ水1号館。
駿台御茶ノ水、通称「すん茶」は浪人界隈では超有名で、駿台の聖地とも言われてる。
大吉が選んだコースは、「難関国立コース」
浪人が開始した時点で、慶應を第一志望をするのはなんか違うと思っていた。なぜなら、現役の時に東大を諦めていたこともあったからだ。
一年間あれば、慶應はもちろんのこと、東大や京大にも受かるという自信があった。ただ、明確に、東大か京大を志望していなかったので、難関国立コースを選んだ。
大吉は、駿台御茶ノ水1号館の「難関国立コース」で浪人することにした。
入塾が遅れて一番下のクラスに入ることに
大吉はが駿台に入ったのは、4月末である。本来ならば、4月初頭に入塾するのが普通である。
遅れた理由は、親が予備校に反対したからだ。
親の意見:「不真面目なあなたが予備校に通って勉強を頑張ると思えない。高校受験も失敗して、現役の時も失敗しているから、浪人して受かるとも思えない」
大吉の意見:「俺は現役の時そこそこ勉強していた。得点開示はまだだが、ギリギリで落ちているはず。現役の時、独学で勉強していたから、浪人で予備校に行けば、さらに成績が上がるだろう」
こういうやり取りがあって、予備校入学が難航したのだ。
というわけで、駿台への入塾が遅れた。
駿台のクラス分けテストなるものを、大吉は受けることができず一番下のクラスに入ることに。
LI, LJ , LK という3つのクラスがあって、各クラス30〜40人くらい。
大吉は、LKであった。
大吉は、クラス分けテストを受けられず、最底辺のクラスに入れられる。
一瞬で駿台を不登校になる
大吉は、親に100万円強の学費を一括で払ってもらい、駿台に通い始める。
最初は、「親への感謝を忘れずに、一生懸命一年間通って勉強するぞ」と思っていた。
しかし、気づけば、GW前には駿台に行かなくなっていた。やはり大吉は、不真面目なのだ。
「大学生はGW明けには、学校に来なくなる」という言葉があるが、浪人生のくせして大学生よりサボり始めるのが早いのだ。 本当に呆れたものだ。
大吉は、GW前に予備校に行かなくなった。
5月の駿台全国模試で慶應A判定!?
大吉は、5月に駿台全国記述模試を受ける。浪人してから初めての、模擬試験ということで、現時点での実力を図るにはとてもちょうどよかった。
結果は、かなりよかった!
偏差値は以下の通り
英語 68.5 世界史 63.5 数学 55 国語 56
慶應義塾大学 法学部 A
慶應義塾大学 経済学部 A
慶應義塾大学 商学部 B
早稲田大学 商学部 A
早慶の色々な学部でA判定を取れた。「やっぱり、現役の時頑張ってたんだ!」って思った。
得点開示で17点差で落ちてたこと、5月の模試で早慶A判定だったことで自信がついた。
コース内で2位でした。 上位20人くらいが貼り出されていたのだが、大吉以外全員一番上のクラスであった。
逆に、成績がいいのに最底辺のクラスにいたことが不登校につながりました。一緒に切磋琢磨し合える友達がいなかくても成績がいいのなら、予備校に通う意味はないと思ったのだ。
大吉は、5月の駿台全国模試で早慶A判定をとって自信がつき、不登校になった。
不登校が喜ぶ 駿台のリモート授業
大吉が浪人していた時は、新型コロナウイルスが蔓延していた時期だ。そのため、駿台はタブレットを生徒に配布し、リアルタイムとオンデマンドの両方で学習できるような環境を整えてくれていた。
不登校になった大吉は、家の布団の中でオンデマンド授業を見ていた。
インターネットによって学習方法の幅が広がったことは、とてもありがたいと思っている。
視聴期限が1週間ほどなので、何回も見返すこともできる。
浪人中の勉強時間
平均勉強時間: 1.5h
浪人生といえば、朝から晩まで予備校に行って、1日に10時間くらい勉強しているイメージだ。しかし、大吉はまるで違った。
全く勉強しないで1週間過ごしたこともあった。逆に、1月の直前期は、8時間くらい勉強していた。
平均して、1.5hなのだ。
親からも、「結局勉強全然してないね。予備校代100万円返して欲しいわ。自宅浪人でよかったでしょうに」と言われた。
当時の自分は、「予備校代は出すのは親として当然でしょ」と思っていた。
しかし、今思うと、当時の自分のような人間に到底お金を出したいとは思えない。
大吉の平均勉強時間: 1.5h
親「受験料出さないからね」
予備校に行かなくなった大吉。5月末くらいに、親にこう言われる。
「受験料はバイトで稼ぎなさい。そんなに勉強忙しそうじゃないならできるでしょう?」
大吉は、「まじかあ、、、」と思った。
ただ、親の言うことが至極当然すぎて何もいえなかった。
というわけで、大吉はバイトを探し始める。
受験料いくら必要?
共通テスト 18,000円
私立大学 35,000円
東京大学 17,000円
私立大学の受験料はとても高い。時給1,000円で35時間働いてやっと稼げるお金だ。
学歴もなくアルバイトしかできない浪人生にとっては、とても大きい金額だ。
共通テスト、東大、早慶4学部、滑り止めのMARCH3校で考えると、
8校で、28万円 !!
6月から毎月4万円ずつ稼げば、7ヶ月で28万円貯金できる。
ただ、たった28万円で名門大学に入学するチャンスを得ることができると考えると、前向きに考えられる。
大吉は、受験料28万円をバイトで稼がなければならないと気づいた。
駿台から親が呼び出される
6月くらいのことだ。駿台の担任から電話がかかってきて、親が呼び出されて三者面談が行われた。
理由は、「大吉がクラスメイトの出席率の低下に影響を与えているから」というもの。
「ん? どゆこと?w」 「授業にいない俺がどうやって影響を与えてるんだ?駿台に行って、クラスメイトを遊びに連れ出してるわけでもなかろうし」
担任が言うには、大吉が授業に来ないのに模試で2位を取ったことで、「授業受けなくても成績取れるんじゃね?」って思う人が出てきてるらしい。
正直、トバッチリでしかない。
母親は「こんなことで呼び出されたのか」って言ってた。
帰りにお茶の水の、「珈琲 穂高」に行った。人生について話した気がする。
この時の母親の言葉「あなたを育てるときに、宇宙規模の心を持って育てろって、親戚の人から言われたの」。
今思うと、小さい頃からかなり母親には迷惑をかけていたなあと思う。それがわかっているだけで、かなりの成長だと思っている。
志望校は東大?慶應?
浪人して数ヶ月が経ち、志望校をどうするかを考えた。
慶應を受けることは確定していたが、慶應を第一志望にするのは、しっくりこなかった。
東大をもう一度目指すことにした。
1年あるからせっかくならということで、東大を目指すことにした。
理想の大学生像は、
東京大学法学部に通い、東大アメフト部で活躍している姿だ。
なぜ、アメフト部かというと、東大のアメフト部に知り合いがいて、未経験がほとんどを占めている部活で、自分でも活躍ができるチャンスがあるのではないかと思ったからだ。
夏の時点での志望校
- 東京大学 文科一類
- 慶應義塾大学 法学部政治学科
- 慶應義塾大学 経済学部
- 慶應義塾大学 商学部
夏期講習セールスはお断り
7月になり、前期授業が終わった。駿台の夏期講習の時期が始まる。
この時期になり、クラスの担任の先生と面談することに。
話の話題は、「夏期講習で何をとる?」である。
駿台の担任は、セールスマンである。
担任の先生は、たくさん講座を取らせようとしてきた。「君のクラスメイトのほとんどがこの講座に申し込んでいるから、大吉くんもとっておいた方がいいよ!」などと言ってくるのだ。
正直、夏期講習を取る意味がわからなかった。
大学受験の夏期講習は、科目の分野ごとに何百もの講座がある。例えば、「英文法 基礎講座」、「早慶の長文読解」、「慶應の小論文」のようなものがある。
1講座につき1冊のテキストが配られる。「平均で、受験生は10講座ほど取っている」と担任は言っていた。つまり、夏の間に、10冊のテキストを完璧にしなければいけないのだ。
前期の授業の復習に加えて、新たに配られたテキストを10冊もこなすことができる人間は、まず浪人しないだろう。全員が全員できないとは言わないが、ほとんどの人間は、前期の復習と夏期講習の両方がどっちつかずになり、消化不良になる。
そうそう、大吉は面談で、担任に夏期講習を売り込まれたのだ。
理路整然と断った。
「今の自分の状況、目標との距離、その差を縮めるためにするべきこと」この3つを詳しく説明した後に、夏期講習を取らない方がやるべきことが捗ると言った。
すると、セールスマンは「わかりました」と言った。
大吉の完全勝利だ。
夏休みの2ヶ月間通常授業がないので、その間に何も授業を受けないのは良くないと思い、2つだけ講座を取ることにした。
他のクラスメイトが、10とか15とか夏期講習を取るなか、大吉は最低限の2つに抑えた。
大吉は、担任の夏期講習セールストークを論破した。
夏が終わり秋になる
夏が終わり季節は秋に移ってゆく。
秋になるとさらに授業に行かなくなった。
模試の時だけ顔を出していた。その度に友達に、「ねえ、授業きてよ、寂しいよー」などと言われたが、不登校を徹底した。
傷の舐め合いをするような友達は一切いらなかった。自分で家でぐだぐだしていた方がまだいい。
親にも、「もう絶対に予備校には行かないから。家で勉強するから」と言い切ってた。
9月の駿台全国模試の結果
偏差値
英語 63.5 世界史 67.5 国語 55 数学 58 地理 55
- 東京大学 文科一類 D
- 京都大学 経済学部 C
- 慶應義塾大学 法学部政治学科 B
- 慶應義塾大学 経済学部 A
- 慶應義塾大学 商学部 A
- 慶應義塾大学 文学部 A
数学が上がった一方で、英語が下がってしまい慶應法の判定がAからBに落ちてしまった。
まあ、正直9月の時点では、そんなに勉強をしてなかったから、焦りは一切なかった。
むしろ、こっから現役生に差をつけていこうと思っていた。
結局、「慶應はA判定だし、なんとかなりそうだな」って思っちゃってた。
対して勉強もしていないのに、そろそろ東大実戦模試が迫ってくる、、、
秋の駿台模試でも、慶應A判定をキープして安心する。
秋の東大実戦
秋の東大実戦を受けることにした。東大の勉強ができているかといえば、あまりできていなかった。
なにしろ、在籍してい他のは難関国立コースで、東大コースではない。
周りに東大を目指している人など一人もいなかった。
この時点で、負けてるのだ。
せっかく駿台お茶の水に通うなら、東大コースにしておけばよかったと、心の底から思っている。
ただ、4月の時点で、東大を目指す覚悟がなかったのが正直なところだ。
結果は、「東京大学 文科一類 D 」
「あーー、やっぱり東大受験は無理だ」
判定が悪い理由は、簡単だ。
勉強量が圧倒的に少ないからだ。平均勉強時間が1.5h。
そんなんで、大吉のような奴が東大に受かるわけがない。
めちゃくちゃ当たり前なのに、懲りないやつだ。
ということで、12月くらいになり、慶應にシフトすることにした。
流石に浪人して、慶應に落ちるのは絶対に避けたいと思い、慶應の法学部、経済学部のどちらかに絶対に受かるように対策を練り始めた。
年明けに慶應の過去問を買う
年が明けて、慶應の過去問を買った。法学部と経済学部の過去問を買った。
1月7日だった気がする。ジュンク堂で新品の過去問を買い。さらに、ブックオフで古い年度の過去問を買ってきた。準備完了。
慶應経済と慶應法に絶対合格する勉強をすることにした。
受験科目は共通していて、英語、世界史、小論文である。
英語力は現役の時からそこそこあったため、過去問演習を中心に行い、問題形式に慣れることにした。
慶應経済の世界史の過去問は良問揃いで、使いまわされているので、研究する価値があった。
慶應経済の世界史の過去問を10年分行った。そして、間違っていたところを解説を読みながら、どのような因果関係が重要視されているのかを考えながら、教科書や参考書に戻りながら、復習した。
復習した問題は、ノートにまとめて、本番に出たら100%の解答をできるように復習した。
世界史は得意だったため、得点源として磨き上げようとしていた。
1月から2月までの1ヶ月間は、毎日8時間ほど勉強した。
午前3時間、午後3時間、夕食後2時間
今日何を確実に仕上げるか?という意識で勉強をしていた。
例えば、「宗教改革の流れを過去問と教科書を使って、完全に理解し、解答できるようにする」など、細かい分野設定まで行った。
直前期考えていたこと
大吉は、直前期どのような気持ちで勉強していたのか?
めちゃくちゃ落ち着いていた。不安になることもほとんどなかった。
慶應A判定を取り続けてきたから、絶対に自分なら慶應に受かるという自信があった。
浪人の一年は短いようで、なんだかんだ長かった。退屈だったし、バイト先でも「受験生なのに12月までバイトしてて大丈夫なの?」とか「現役生が追いついてくるの怖いね」とか色々言われた。
当時は全く気にしてなかったけど、今考えたら普通にストレスだったんだなと思う。
そんなこともあって、浪人っていう期間が終わりに近づいてきて、自分の中ではホッとし始めていた。ただ、最後は絶対に慶應に受かって終わりたいって思ってた。
毎日、合格に近づいていってる感覚が確実にあった。
毎日、確実に1点上げている自信があった。
毎日一点挙げ続ければ、30日で30点上がることになる。それができれば、余裕で受かると思っていた。
1ヶ月前からスイッチが入り、確実に毎日一点上げていく。
源泉徴収票を見たら、、、
源泉徴収額は、50万円だった!
4月から12月までの9ヶ月バイトをしていた。
1ヶ月で5万円以上稼いでいたのだ。
よく頑張ったと思う。
半分以上は、食事代とか、遊びに消えた。
残ったのは、25万円ほど。
浪人中のバイトで、25万円貯金した。
いよいよ出願
出願校
東京大学 文科一類
慶應義塾大学 法学部政治学科
慶應義塾大学 経済学部
慶應義塾大学 商学部A方式
早稲田大学 商学部
明治大学 経営学部
中央大学 商学部
関西学院大学 経済学部
法政大学 経営学部
最初は、東大、慶應、明治だけ受けるつもりだったのだが、親が心配したので、中央と法政も受けることに。
関西学院大学を受験したのは、受験日が早く、試験慣れのとして最適だったからだ。試験本番は、早く終わって寝てたと記憶している。
明治の経営は、普通に解いた。特段時間が余るとかはなかった気がする。
中央は、簡単だったと記憶している。ただ、キャンパスが遠くてたどり着くまで苦労した思い出がある。
法政は、あまり覚えてない。覚えているとしたら、英語の試験中に左翼団体が演説を始めてうるさかったということくらいだ。
早稲田の商学部は、古文漢文を勉強してないから、受かる気はなかった。ただ、早稲田をひとつくらい受けてみたいと思い、受けた。
東大は記念受験だ。「もうこんな受験勉強もすることないなら、経験として、最後に受けてみたい」と思ったのだ。*東大受験については別の記事で書こうと思う。
慶應受験本番に遅刻?!
大吉は慶應の受験に遅刻した。
試験の順番は、経済、商、法の順だ。
寝坊して、経済と商の試験に遅れた。
どちらも一限が、英語の試験だった。慶應受験において、英語は最重要科目である。英語がうまくいけば、基本的には他の科目で爆死しない限り合格はほぼ確実だ。
そんなわけで、経済と商の英語がうまくいかなかった。遅れてできるほどの実力はなかった。
経済と商の試験に遅刻して、深く反省した。
商学部の試験が終わり、2日後の法学部の試験まで少し時間がある。
新しいことはやらずに復習しつつ、遅刻しないことだけを考えた。
慶應法 受験前日
慶應法学部の試験日の前日にこう考えていた。
「おそらく、経済と商は遅刻したし、落ちてる可能性が高いだろう。慶應に入るとしたら、明日がラストチャンスだ。このチャンスを活かせるかは自分次第だ」と。
慶應法学部の受験科目
- 英語 200点
- 世界史 100点
- 小論文 100点
英語が総得点の半分を占めている。英語が取れればほとんど合格は間違いない。
目標点数 英語 150/200 世界史 80/100 小論文 60/100 合計 290/300
最低点 230-240
英語で得点するためには、英語脳の回路を活性化させることが有効だと知っていた大吉は、それを実践することに。
英語のシャドーイングをすると英語脳の回路が回り始める。
慶應法学部がラストチャンス!シャドーイングで英語脳を活性化させる作戦!
受験当日
受験当日。
朝しっかりと6時半に起きて、朝食をとった。
電車が遅延していないことを確認して出発した。
電車に乗った瞬間、英語のシャドーイングや音読を始めた。周りの人を一切気にせず、英語の勉強を電車内でした。
日吉まで1時間ほど。日吉に着く頃には、英語脳が活性化してきているのがわかった。
試験が始まった。
英語、世界史、小論文の順番だ。
英語と世界史はとても出来が良かった。
最後の小論文で問題が起こった。
90分の試験時間を、60分だと思い込んでいた。
時間が足りないと思い込んでいた。「後5分で、300字は書かなきゃいけない」そう思っていた。必死に、手が震えながらも300時ほど稼いだ。しかし、5分経ってもチャイムが鳴らないのだ。
ふと受験票を見て、試験時間が90分であることに気づいたのである。
しかし、ほとんど字数を埋めてしまった以上書き直すのは厳しいと思った。そこで、乱雑に描いてしまった漢字を綺麗に書き直すことだけして30分過ごした。
小論文は何も対策しないで挑んだ。過去問すらやっていない。
小論文の試験が終わった。同時に、慶應の受験が全て終了した。
すごくホッとした気持ちだった。
試験を受け終わった後、慶應法学部は絶対に受かったという確信があった。英語と世界史だけで合格点に達していると考えていた。
大吉は、慶應法学部の入試で、実力を出し切ることができた、
滑り止めの合格発表
滑り止めの私立大学の合否
- 明治 経営 合格
- 中央 商 合格
- 関西学院 経済 合格
- 法政 経営 不合格
法政以外は合格していた。「なんで法政落ちたんだ?」って思ったけど、理由はよくわからない。
これだけ滑り止めを確保していれば問題ないだろう。
滑り止めで、明治、中央、関西学院に合格した!
慶應法学部 合格発表
慶應法学部の合格発表当日。10時合格発表だったが、大吉は早稲田大学商学部を受けていた。
スマホを浪人時代は持っていなかったため、合格発表を家のパソコンでしか見れなかった。
早稲田の試験中も、慶應の法学部に受かってるよな?と自問自答していた。
試験が終わり、早稲田駅に向かって多くの受験生が流れ込む中、徐々に心拍数が上がっていった。
最寄りの駅から家に向かう途中も、合格発表を見たくてみたくてしょうがなかった。
ただ、家に向かう途中で、「もう現時点で慶應に俺が受かっているかは決まってるんだな。ただ、それを見れてないだけ」と思っていた。
家に到着した。
小学生の弟が家にいた。
弟に、「今から、慶應法学部の合格発表を見るよ!」と言って、家のパソコンを立ち上げた。
弟もとても気になっていた。
「確認」
このボタンを押せば、全てがわかる。
弟と一緒に「受かってますように」祈ったあとボタンを押した。
慶應義塾大学 法学部政治学科 合格💮
「よっしゃーー!受かった!」
弟と抱き合って喜んだ。今でも覚えてる。人生で一番と言っていいほど嬉しかったかもしれない。
15分後に母親が仕事から帰ってきた。母親も合格の画面を見ると、「本当にすごいね!よく頑張ったねぇ!」とのこと。
母親は、大吉が慶應法学部に落ちていた場合に慰めるために、クッキーを買ってきていた。
一番自信のある法学部の発表が最初だったので、ここで落ちていたら、他の2学部は無理だろうと思っていた。
だから受かって本当に安心した。
大吉は、慶應義塾大学 法学部政治学科に無事合格した。
受験結果まとめ
- 東京大学 文科一類 ❌
- 慶應義塾大学 法学部政治学科 ⭕️
- 慶應義塾大学 経済学部 ❌
- 慶應義塾大学 商学部A方式 ❌
- 早稲田大学 商学部 ❌
- 明治大学 経営学部 ⭕️
- 中央大学 商学部 ⭕️
- 関西学院大学 経済学部 ⭕️
- 法政大学 経営学部 ❌
決して満足できる結果ではなかったが、第一志望に合格できたので良かった。
今回の合格体験記は物語のように書いたため、勉強法などはあまり書いてない。勉強法については別の記事で書こうと思う。
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